Bhahati yangu(運)
















赴任から2カ月。職場に慣れるに従って、そろそろ改善すべき点を改善して
いきたいな、と思っているが、日本人の常識的に正しいこと(遅刻はしない、
約束は守る)や環境的に正しいこと(イベントの前後にちゃんと講義をする、
アイドリング・ストップをする)などがケニア人に通じないことが多く、最近周
囲と衝突してばかりだった。

しかし今日は、昨日のEっちの言葉の通り、ごく単純に「いいこと」があった。

なんと50ドルを拾ってしまった!

お昼ごはんを食べに行ったメイン・ゲート脇のレストランの前に札束がポトッ

と落ちていた。公園に入る前にレストランに寄るお客さんは少ないだろうか
ら、お金を落としたお客さんは、おそらくもう公園を出てしまっているだろう。
5シルくらいならポケットに入れてしまうところだが、50ドル。日本人の私に
したって大きな額だ。

とりあえずメイン・ゲートに届け、「お金を落とした、っていうお客さんがいた
ら渡してあげてね。」とお願いした。 レストランに戻ると、友達やなんと上司
からさえ 「も~!どうして届けたりしたの?あれはbhahati yako(あなた
の運)だよ。」 と言われた。

つまり、「もらっちゃいなさい」と。

日本だったら拾ったお金は交番に届ける。持ち主が現れれば万歳。現れ
なければ拾得者の持ち物になる。 (民法第240条)良い法律だ。

小さい頃、父親と歩いていて10円玉を拾ったことがある。父親は「10円
取りに来る人はいないからお前が使いなさい。」と言ったけれど、父親に
ついて来てもらって交番に届けた。お巡りさんは、「ありがとう。」と言って、
自分の財布から10円玉を出して私にくれた。10円がもらえて嬉しかったけ
れど、それはつまりお巡りさんも父親同様、10円を取りに来る人はいない
思ってるということで、なんだか悲しかった。

ケニアでは、お金をひろっても交番に届けなくてもいいし、メイン・ゲートに
届けなくてもいいらしい。それがケニアの常識らしい。 不正、賄賂が横行
するケニアの社会を見ていたら、市民が拾ったお金を警察に届けようと思
わないのは当然かもしれない。

上司の言葉に従って、メイン・ゲートに戻り、「お金は私が預かっておくか

らお客さんが来たら私に電話して。」と言ってお金をもらってきた。

さあ、bhahati yangu(私の運)。この50ドルをどうしよう?この50ドルから
私の幸運が始まると信じてる。

事実、「拾った50ドルをメイン・ゲートに届けた」と報告したら、久しぶりに
上司がいつもみたいに笑って話してくれた。今日から挽回!



写真はナクル湖国立公園のロスチャイルド・キリン