野外授業

ナイロビに滞在する約2か月の間、平日にはスワヒリ語の授業
がある。NTCで英語を学んだ人も、スワヒリ語を学んだ人も、
な受講する。そして毎週、火曜日と木曜日の午後はアウトドア・
レッスンがある。

第1回はAdams市場、第2回は喫茶店、第3回はToi市場、
第4回は郵便局やスーパーに価格比較調査に出かけた。

市場で見つけたびっくりNo.1はmawe ya kula。
直訳すると
「食べる石」。カルシウムや鉄分を補うため、ケニアの人は
石灰岩を食べるそうだ。次に誕生日を迎えるボランティアに
ケーキの代わりにmawe ya kulaが贈られる予定。

市場ではヨーロッパやアメリカから(おそらく援助物資として)
送られてきた古着もたくさん売られている。革靴、コート、ジー
ンズ、ワンピース、子供服、なんでもある。こんなにたくさんの
服が、まだ着られる状態で捨てられているということに驚く。













ケニアの人口の60%以上はキリスト教徒。市場の奥から大きな
が聞こえて来た。市場内にしつらえられた会場に椅子が並ん
でいて、(おそらく偽者と思われる)神父がスワヒリ語で説教し
いた。














良く晴れた日に、傘が、裏返しになった状態で売られている
のを見た。なんのために裏返しに?そしてこれもたぶんセカンドハンド。




日常

治安の悪いケニア。
夜間の外出禁止はもちろんのこと、ナイロビの外へも
出かけてはいけないと言われている。ナイロビ市内で
遊ぼうにも、まだIDカードを配布されていない私たち。
美術館に行っても、国立公園に行っても、外国人料金
を払わなければならない。

せっかく憧れのケニアに来たのに、行きたいところに
行けず、ストレスを感じていたら・・

カンムリヅルの群れ広い草原を駆けまわっている夢
を見た。ただし、檻で囲われた草原を・・
写真は、庭の端にある私たちの教室。
先生1人と生徒3人。

Nepal in Kenya















近所の高級スーパーの文房具屋にて。
馴染みのある音調が耳に飛び込んで来た。
振り向くと、ネパール人らしき店員が2人。

ニヤリ。さっそくみつけちゃった。

ポストカードを持ってレジに並ぶと、若い方のネパール人が
年上のネパール人に、"Pack garne?"(包むの?)と聞いた。
"Tapaiharu Nepali hunuhuncha?"(ネパール人ですか?)と
尋ねると、年上のネパール人が"We're born here."と答えた。

なんじゃそりゃ。

1週間後、また同じ店に行くと、若い方のネパール人が英語で
話しかけてきたので、「何カ国語話せるの?」と尋ねると、
「英語とスワヒリ語とグジャラート語」と答えてくれた。「ネパール
語も?」と聞くと、「なんのこと?」と慌てる。「このあいだ"Pack
garne?"って言ってたでしょ。」と聞くと、「なんのことだかわから
ない。」と言われ、"Malaai Nepal manparcha."(私はネパール
が好きです。)と言うと、しまいには「それ中国語?」と言って
目をそらされてしまった・・・

なんなんでしょうね~。ネパールを心から愛しているくせに、
ネパール人であることを隠したがる心理・・・いつか一緒に
ネパール語で話をしてやるぞ~!

ところでナイロビのスーパーにはFair&Lovelyとその姉妹商品
がたくさん並んでいる。Himalayan Herbalの商品も種類が
豊富。マサラやスナックなど、ネパールで売られているものと
変わらないようなインド製品が良心的価格で売られていて、
懐かしいやら、嬉しいやら

ケニアにはカンガという民族衣装があるのだが、街中では
クルタスルワール(パンジャビードレス)を来ているケニア人
女性もたまに見かける。

ケニア料理













ケニアに来る前、心配していたのが治安と食事。
肉はあるけど魚はなかなか食べられない、とか
味付けは基本的に「塩」のみだと聞いていたから。

でも来てみたら、どの料理もおいしくて安心した。


写真はウガリとスクマウィキとカチュンバリ。
典型的ケニア料理。


ウガリはトウモロコシの粉に水をまぜて火にかけて
ねったもので、ケニア人の主食。肉まんの皮みたい
な感じで、食べやすくはないがまずくはない。
スクマウィキ(ケール)は炒めて、塩と香辛料で
味付けされている。とても美味。
カチュンバリはインドのカンチュバーサラダから来て
いるのかな、と思う。タマネギ、トマト、パクチー
(ネパール語と同様ダンニャという)を和えたもの。
ボールいっぱい食べたいくらいおいしい。


これにチャイがつくのだけど、ケニアのチャイはスパイス
控えめ。一人暮らしが始まったら、スパイスたっぷりの
チャイを作ろう♪

休日のお出かけ

友人の結婚式に送るメッセージに添える写真を撮るため、
今日はひとりでちょっと遠出。マタツ(ワゴン車バス)を乗り
継いで、Kiambuにあるピクニックサイト、Paradise Lostへ。

ナイロビの市街地を抜けると、北海道と変わらないような、
トウモロコシ畑が広がっている


マタツ・ステーションからParadiseLostまで続く2kmの
道沿いにはコーヒーが植えられていた。












Paradise Lost では、観光客よろしく馬やラクダに乗ってみた。
石器時代の洞窟があり、おもしろかった。











ナイロビの街中は人と車であふれかえっている。
暑い陽射しの下の騒音、排気ガスはたまらない。
今日のお出かけは良い気分転換になった。

夜中の爆竹?















ただいまナイロビ午前3時半。

昨日は炎天下、JICAオフィスから宿まで30分ほどかけて
歩いて帰ったせいで疲れたらしく、8時には寝てしまった。
0時ごろ、同室のNちゃんも寝て、
0時半ごろには廊下の電気も消えて、
他の部屋の人もみんなも床に就いたらしかった。

午前1時頃。
パンパンと乾いた軽い小さな音がした。
ベッドの軋む音かと思うくらい、近くだった。
10秒か20秒して、またパンパンと同じ音がした。
私、動いていない。これはベッドの音じゃない。

不審に思って体を起こすと火薬の臭いがした。
これはおかしいと思い、飛び起きて、
Nちゃんを起こして、部屋の電気をつけた。

Nちゃんも音を聞いたけどベッドの音だと思ったらしい。
火薬の臭いを嗅ぎ、2人で私のベッドの足元周辺を
見てみたけど何もない。

カーテンを開けて(まずかったかな?)、外の様子を窺った

けど特に変わった様子はない。JICA調整員、JICAセキュ
リティスタッフ、宿のご主人の携帯にメッセージを送る。

宿のご主人が様子を見に来てくれたので、懐中電灯を
持って、一緒に庭を見て回ったけど、何もない。
セキュリティスタッフも「明朝、状況を確認に行くから心配

しないように。」と電話をくれた。

しかしすでに5時間眠ってしまった私は目が冴えてしまって眠れない。

さっそくナイロビのプチ洗礼を受けたが、このまま何もなければいいな。

写真は近所の木に巣をつくっているハタオリドリ。

Overtake your dream
















好きなことを仕事にしている両親を見て育った。
「本当に自分の好きなことを仕事にできるって限られた人だけなのよ。」
それは幸せなことで、当たり前だとは思ってはいけないと、
小さい頃から母に諭されてきた。

昔からサバンナのレンジャーに憧れていた。
高校受験、大学受験、就職試験、各段階で挫折を経験した。

でも今、29歳になった私は、ボランティアとして、
サバンナでレンジャーと一緒に仕事ができることになった。

遅蒔き?いや、まだ29歳。
きっと、これから夢に手が届く。
夢を追い越すこともできるかも。

友達のKちゃんが言っていた。
「will powerってすごいんだよ。願い続けていれば夢はきっと叶うよ。」

JOCVの技術補完研修の際、
(財)キープ協会の川嶋事務局長がおっしゃっていた。
「突然のひらめきなんてものはない。
常に考えているものが、なにかのきっかけで生まれてくるんだ。」

願い続けること、常に考えることが、いつか夢につながっていく。

いつか住みたいと憧れてきたアフリカの大地に、
今日、降り立ちました。

宝物

さあ きみの きょうという日と あすという日のために
キスをいっぱいあげよう。 ぜんぶきみのために!
ドリス・シュワーリン『あすはきっと』


思春期を生き延びられたのは、友達がいたから
今の私があるのは友達がいたから
私を批評し、一緒に笑ってくれた友達がいたから

今の私を形作っているのは、友達とすごした折々の時間で、
その積み重ねで、今の私がある

友達抜きに今の私は在り得ない

一歩、踏み出す今、「ありがとう」と「いってきます」