環境教育分科会











ケニアで環境教育に関わるJICAボランティアらの
情報共有等を目的として設立された環境教育分
科会(以下ee分科会)。今日はケニアに来てから
初となるee分科会の会議に参加。

今年6月をもってee分
科会隊員全員が任期満了
で帰国してしまうため、初参加でいきなり分科会
の存続をかけた議論となった。先輩隊員5名、新
隊員3名という少人数だったためじっくりと話を聞
くことができて良かった。

最終的には、今後ee分科会を担っていく私たち平

成21年度第3次隊の意向を尊重する、と言っても
らったので、存続させてほしいとお願いした。

ee分科会の活動に力を入れすぎて任地での活動
をおろそかにすることなく、会の特性を自分たちの
活動に活かしていけたらと思う。



写真はナクル湖国立公園にあるバッファローの頭
蓋骨。そのうち教材として展示したい。

健康管理員の視察













朝10時前、JICAの健康管理員Dさんが、私の様子を
視察するため ナイロビから来て下さった。お客様が来
たみたいでなんとなく嬉 しい。

私の職場、家、お昼ごはんを食べる場所、そして病院
を視察。Dさんはケニア人とは比べものにならないほど
駆け足で仕事を済ませて、Eっちの住むナイバシャへと
移動して行った。

夜はDさんがおみやげに持って来てくれたアスパラを

野菜炒めにして、白菜とネギを味噌汁にし た。(アス
パラが巨大なのではなく、白菜が小さいのです)味噌
は日本から持参したインスタント。おいしい!!

鳥になりたい











「鳥になりたい」と人が言うのを聞いたり読んだりしたこと
があるけど、今までその発想がわからなかった。

でもそれは、私が鳥を知らなかったから。
鳥をよく見たことがなかったから。

ナクルに来て、のんびり空を見上げられる時間が増え、

風にのって湖の上空を旋回する鳥たちをみていたら、
私もあんなふうに飛べたら気持ちいいだろうな~と
思うようになった。

パーク・クリーニング

同僚Mrs.Mとプラスチックのリサイクルについて談義
していたところ、10時のお茶が運ばれて来た。それと
同時にバスの排気音がして、運転手のLが部屋に
入って来て言った。

「パーク・クリーニングに行くぞ!」

えっ??お茶も飲み切らないうちに慌ただしく出発。

対象はLanga Langa小学校の6年生、7年生(日本の
中学1年生にあたる)31名と先生2名。

公園の端、民家のすぐ近くでの清掃活動。
園内だが、ビニール袋、プラスチックの容器、サンダル
など、風や雨が運んで来たゴミでいっぱいだ。途上国
ではどこも同じだろうが、ゴミが地面に同化している。




















バッファローのすぐ近くでの清掃活動。
武装レンジャーがこどもたちを護衛。


今日はKWSのスタッフが大勢いたので私も緊張せず
に済んだ。ゴミを拾いながら何人かのこどもたちと話
をする。「みんな今までゴミをポイ捨てしたことある?」
と聞くと 全員がうなずく。ひとりは「ノー!」と言ったが
「本当?」と聞くと「エヘヘ。」と笑う。ゴミをポイ捨てを
したことがないケニア人なんていないに決まっている。
「ゴミはこうやって公園に来るんだからね。今日からは
ポイ捨てしちゃダメだよ。」 と子供たちに言うが、みん
なあいまいに笑うだけ。あ~ダメだな。

この場所を清掃 するのは約1年ぶりとのこと。
 

約2時間後、生徒と一緒に集めたゴミは342kgにも
なった。「記録更新ね。」と喜ぶ主催スタッフ。

いや、喜ぶところじゃないでしょ。


気になったのは、清掃活動の前後に講義が行われ
なかったこと。参加したこどもの中には、空のペット
ボトルを見てもゴミだとは認識せず、枯れ枝をゴミだ
と思って拾っている子もいた。


レンジャーが「木は土に戻るからゴミじゃないぞ。」
と説明すると、こどもたちは「わかりました!」と元気
良く答えていたが、レンジャーが去ると、「土に戻るっ
てなに?」とヒソヒソ話。レンジャーが英語で説明した
のがマズイ。こどもたちの「わかりました!」は信用し
ちゃいけないことがわかった。


案の定、お昼の時間になると何人かのこどもたちは
自分のゴミをそこらへんに投げ捨てていた。

なぜ活動の前後に講義をしないのか。
なぜ自分たちはゴミを拾うのか、
なぜゴミを捨てちゃいけないのか、

このやり方じゃこどもたちはきっとわからない。

時間をかけて、スタッフと話をしていきたい。

悪夢

嫌な夢を見た。ゾッとして朝の5時に目が覚めた。

弟に何かあったと思い、すぐに日本に電話をすると、
親戚のおばさんが亡くなったと聞かされた。小さい頃
よく一緒に遊んだ友達のお母さんだ。

夢では弟が大変なことになっていたけど、実際の
弟はピンピンしてへらず口をたたいていた。夢が
はずれて良かった。 弟に連絡をしなきゃな~、と
考えていながら、なかなか連絡できずにいたから
その引け目からこんな夢を見たのだろうか。

いつか家族が亡くなることもある、と頭ではわかって
いても、現実として考えたことはなかった。夢がとて
もリアルだったので、目が覚めた瞬間ひとりで泣いて
しまった。

2年間、日本には帰らないと言うと、ケニア人は驚く。
「家族に会えなくて寂しいでしょ。」と同情してくれる。
「うーん・・まぁ・・でも今はメールがあるから大丈夫。」
と言うと、人でなし、とでも言いたげな目で見られる。

でも今日、初めて家族を思いやることができた。
2年間、私も家族も無事でありますようにと改めて思った。