ケニア山登山⑥下山~ナイロビ

レナナ峰アタックを終えて小屋に戻るとI先生は先に下山を始めた後だった。

体力ありあまるM先輩は、行きに通って来た谷底の道ではなく、尾根上の
を通って帰ると言い、食事をとってすぐに出発した。頂上で過ごした時間
長かったせいか、下山時に嘔吐してしまった私は、小屋で2時間くらい仮眠。

Mohamedに起こされて無理矢理、食べ物を口に押し込み、重い足をひき
ずって出発。ガイドのMohamedとコック長のJosephと2人で下山。

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おとなしそうなJosephが実は大の冗談好きと知る。
いろんな西洋人のお客さんに冗談を言いながら下りて行く。

標高3,000mくらいに下りて来た時、急に体に力が戻ったように感じ、
足取りも軽くなった。

それを見たMohamedとJosephがなにやらゴニョゴニョ話している。
様子がおかしいと思ったら、私が何時までに小屋に戻れるか2人で賭けを
していたらしい。標高が低い所に来て、私が急に元気になったのは誤算
だったようだ。

客を賭けの対象にするとは・・!3人で大笑いして、ふと、ネパールのガイド
やポーターたちを思い出した。ガイドやポーターはみんないつも冗談ばかり
言っていて、一緒のトレッキングは本当に楽しかった。

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Mohamedが「山の仕事が好き」と言っていたのが印象に残っている。
山が好きなガイドに案内される客は幸せだと思う。

山だけではないだろう。その仕事が好きな人にサーブされたり、
一緒に仕事したりできるのは幸せだ。

夕方、Old Moses HutでI先生、M先輩と無事合流。

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翌朝、車で一路ナイロビへ。

ナイロビに着いて、Fair View Hotelにチェックイン、寿司バーで舌鼓を打つと、
I先生はたちまちいつもの元気を取り戻した。やはり3泊でケニア山登山という
計画は無理があったな~と反省した。

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写真はShirimonゲート脇のゴミ捨て場。
登山中に我々が出したゴミはここに運ばれ、燃やされる。

ケニア山登山⑥レナナ峰アタック~下山開始

翌朝、再び5時起き。I先生は体調が優れず、レナナ峰登山を断念。
私とガイドのMohamed、そして体力のあり余っているM先輩の3人で出発。

一昨日まで、高山病が怖くてゆっくりゆっくり登って来たので体調は良かったが、
今日はさらに700m以上高度を上げる。途中、多少頭が痛くなったりしたので、
立ち止まっては水を飲み、暗い中をゆっくりゆっくり登って行く。他の登山者と
抜きつ、抜かれつしながら、カメのようにのんびり歩いていた私が一番のりで
レナナ峰到着!

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小屋から3時間弱かかった。頂上付近はうっすら雪がつもっていた。
でも天気は良好。風もない。体感温度はかなり暖かく、風の強かった昨日
よりだいぶ恵まれている。遠くの空に雲がかかっていて、ご来光の輪郭が
ぼんやりしていたのが残念。

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足下に美しい湿地帯が見える。

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予定では、この湿地帯を通り、チョゴリア・ルートで下山するはずだったが、
今回は体調の関係もあり、元来た道を帰ることにした。機会があれば次回
は是非あちらから下山したい。

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バチアン峰直下に、小さな氷河が見える。(写真右下の雪の塊)(E80)
「赤道直下の氷河」と言われるケニア山の氷河も温暖化で年々小さく
なっていっているそうだ。

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岩と雪の、モノクロの世界。

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レナナ峰を振り返る。

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登山道脇の小さな池。氷河湖ではないそうだ。雪化粧した岩肌がきれい。

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頂上に長居してしまったため、下山時、頭痛や吐き気を感じる。
ネパールだと、ピーク滞在時間が長くなりすぎないようガイドに制限
されるが、ケニアのガイドは高山病予防にそれほど厳しくない印象。

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* 文中、E80はPENTAX Optio E80で撮影したもの。
  特に記載のないものはOLYMUS E-3で撮影。

ケニア山登山⑤ひとやすみ(高度順応)

5時に起きて空を見る。薄闇にレナナ峰の影が浮かんで見える。
M先輩は多少頭が痛いと言いながらも出発。

小屋に戻り、8時まで寝て、目を覚ますと青空が見えた。(E80)

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先輩が気持ちよく登れていますように!

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Shipton’s Campはこんな所。(E80)
写真ではわからないけれど、 周辺地形や小屋の位置が、
ちょうど涸沢カールにある涸沢小屋を 彷彿とさせる。

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朝食を食べ終わった頃、M先輩が小屋に戻って来た。無事
山頂には着いたものの、風が強く、とても寒かったようだ。

帰りはザレ道を走って下りて来たそうで(E80)、その速さに
ガイドのMohamedも驚いていた。

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午後は、高度順応のためにレナナ峰の裾の斜面をひと登り。体力
のあり余っているM先輩も一緒。最高到達地点は4,800mほど。

明日が私のアタック日。高山病になりませんように ・ ・ ・


* 文中、E80はPENTAX Optio E80で撮影したもの。
  特に記載のないものはOLYMUS E-3で撮影。

ケニア山登山④Old Moses Hut~Shipton’s Camp

朝から快晴。斜面の向こうにバチアン峰が頭をのぞかせている。(E-3)

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道は至って平坦。景色を楽しみながらのんびりと登って行く。(E80)

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少し高度を上げて来た。ナニュキの町を振り返る。(E80)

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丘を越え、マッキンダーズ渓谷のなだらかな底を歩いて行く。(E80)

午後になり、雲が出て来た。

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マサイ布をピクニック・シート代わりに広げ、川辺で昼食。

岩山を背景に、辺り一面に生えるジャイアント・セネシオ。(E-3)

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なかなかの奇景。ケニア山らしくて良い。(E-3)

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ネズミが地面を駆け回り、登山客の食べかすを狙っている。

ん?シマリス?と思ったら、Zebra Mouseという、縞模様のねずみ。(E-3)

Zebra mouse

標高が4,000mを超えた。I先生の足取りが重い。

私も高山病になりたくないので、水を飲みながら、ゆっくりゆっくり登って行く。

小屋の手前、最後の登り。(E-3)

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* 文中の写真、E-3はOLYMPUS E-3で

E20はPENTAX Optio E80(コンパクトカメラ)で撮影したもの。

ケニア山登山③シリモン・ゲート~Old Moses Hut

1日目の行程はシリモン・ゲートからOld Moses Hut。高低差700m
(2,600mから3,300m)。 エベレスト街道で言うところの、ルクラの
飛行場からナムチェ・バザールまでの、2日間の行程を2時間で歩いて
しまうのだ。











初日の道は、車でも通れる。日本でいう”林道歩き”といった趣。
おもしろい道ではないので車で行っても良いだろう。











シリモン・ゲートを出発してすぐ、赤道を超える。 南半球のナクルを出発し、
車で赤道を超えて北半球に入り、 そして山の中で再び赤道を越えて南半
球に戻る。











運が良ければゾウに会えるらしいが、私たちが見つけたのは足跡だけ。







夕方、Old Moses Hut着。hutというだけあって、あまり快適ではない。
二段ベッドが4台並んだ小部屋。持参した寝袋をマットレスの上に敷いて
寝る。同様の小部屋が数室あるので50名くらい泊まれる。他に共同の
ダイニングと水洗トイレがある。












台所は離れにある。今回は、コックさんつきの登山をアレンジしてもらった。
(歩行中はコックさんがポーターさんの役割もしてくれる。)宿に着くと、食事
待っている。大名行列!










今回利用した旅行会社は、"Lonely Planet"でも紹介されている
Mt. Kenya Mountaineering Information Office 。
ガイドのMohamedさんは、対応が丁寧でかつ気さく。

Mohamed:0733-340849(携帯電話)

ケニア山登山②ナクル~登山口

朝8時。旅行会社の車がホテルに迎えに来た。
ナクルの町を出て、そのまま北上。
ケニア山の登山口のひとつ、ナニュキの町を目指す。













途中、ニャフルルの町でThomson's Fallを見るために下車。











滝を見ていると、近くにいたおじさんが私の腕にカメレオンを乗せてくれた。









私がカメレオンの写真を撮るのを見て、おじさんがおもむろに腕を突き出して
来た。腕には200と書かれている。200シリンギ(約210円)ということらしい。


高すぎる・・


「カメレオンが私の腕をひっかいた~!痛い~!(本当)」と文句をつけて、
その場を去る。料金設定を見直した方が良い。20シルくらいなら払ったのに。












ニャフルルの町を過ぎると、雲の向こうにアバーデア山脈が見えた。



今回の山行は、先輩の隊員に教えてもらった以下の3泊4日の行程。

1日目:Nakuru = Nanyuki = Shilimon Gate - Old Mose's Hut
2日目:Old Mose's Hut - Shipton's Hut
3日目:Shopton's Hut - Lenana Peak - Chogoria Gate
4日目:Chogoria Gate = Nairobi


                (※文中 ”=”は車、”-”は徒歩を示す。)

しかし直前になり、頂上アタック後にそのままゲートまで下るのは厳しいことに
気付き、旅行会社の事務所があるNanyukiに着いてから以下のように計画を
変更。



3日目:Shopton's Hut - Lenana Peak - Minto's Hut
4日目:Minto's Hut - Chogoria Gate = Nairobi



夕刻の迫る中、車はSirimon Gateへと向かった。

ケニア山登山①ナクル湖国立公園

高校山岳部時代の顧問I先生とM先輩が日本から遊びに来てくれた。

ひと月前、先輩から、ケニアに遊びに来ると連絡があり、せっかくなら
と、山行を提案した。

高校を卒業して10年以上経つが、こうして今でもプライベートでお付き
合いが続いているのは、山岳部という部活ならではの稀有なことだと
思う。









写真は2人の泊まったFairview Hotel(ナイロビ)。

コロニアル調の内装が素敵で、気持ちの良い小さな庭がある。
残念ながら安全上の理由から、JICA関係者は”宿泊”禁止。

先輩が「ケニア人と押し合いへし合いしながら乗るというマタツ(ミニ
バス)とやらに乗ってみたい。」と言うので、不安そうな顔の先生を
説得して、マタツでナクルへ。









タクシーに乗って、ナクル湖国立公園へイブニング・サファリに出か
けた。初めてBlack-backed Jackalを写真におさめることができた。













ケニア山
ケニア最高峰にして、キリマンジャロに次ぐアフリカ第二峰。
最高峰のバチアン峰の標高は5,199m(要登攀道具)。私は

クライミングはできないので、一般登山客が登れる最高峰、
レナナ峰(標高4,985m)を目指す。

初めて写真を見た時から、火山岩の険しい山容と、そこに育
つ風変わりな 植物に憧れ、ずっと登ってみたいと思っていた。

明日、出発。

朝のお茶










同期隊員のEっちが、旅の途中でナクルに立ち寄ってくれた。
パピルス製のソファを外に出して、朝のお茶を楽しむ。
小さな公園の中の、小さな家だけど、この景色はお気に入り。

男三人衆のナクル・サファリ

単独行動が得意の同期の男性隊員3人が、なぜが連れ立ってナクル
へやってきた。

4人乗りの車が「いってらっしゃーい!」の声とともにパンクしたのを良い事
に、私と後輩隊員Mは嬉々として、代わりにやってきた9人乗りのバンに
乗り込んだ。


園内に入ると、さっそくメスのライオンのお出迎え。ナクル湖国立公園のラ
イオンは木に登ることで有名。木の下にこどものライオンもいたらしいが、
私たちは見られなかった。













湖畔にはたくさんのフラミンゴ、たくさんの観光客、
そしておそらくは降り続いた雨のせいだろう、たくさんのゴミ。











ナクル湖国立公園では初めてお目にかかったEland。
以前、近隣の住民を招いてツアーをした時に、参加者の1人がElandを見て
「こいつがうちの畑を荒らすのよ!」と叫んだとか・・










湖畔のダチョウ。フラミンゴのピンクとのコントラストがきれい。










番外編:普段あまり見られない、動物たちのだらしない顔









バッファロー:口が半開きだけど・・反芻中・・?










シロサイ:口が地面についているのも気にせず昼寝中・・?

一時帰国

祖父が亡くなり、日本に一時帰国した。急なことだったので驚いた。

私たちがケニアに赴任してすぐ、JICAの規則が変わり、「任国外旅行」
いう制度を利用して、今まで行けなかった日本への旅行が可能になった。

両親や兄弟が亡くなり、日本に帰る場合にはJICAがその費用を負担して

くれる。しかし祖父母の場合、帰国費用は自己負担となる。

親戚のなかで一番マメで、一番勤勉で、絵に描いたような戦後の日本人
だった祖父。果物が好きで、夏にはナシを、冬にはイヨカンをむいてもらっ
たのを思い出す。

もうすぐナシの季節なのに、むいてくれる人がいないと思うと涙が出た。

でもケニアにいたにも関わらず、湯灌から初七日まで参列できたのは、
せめて良かった。













1週間ほど滞在し、前任者のTさんと会い、活動の悩みを聞いてもらう
ことができた。

また、別の日にはネパール語教室の友達と食事に行った。ケニアで
食べたくて仕方なかったネパール料理。これが食べられて嬉しい。












帰りのスーツケースの中は日本食でいっぱい。










それにしても先輩隊員を見送った翌日に、自分が同じ飛行機に乗って日本
へ帰ることになろうとは思いもしなかった。任期中に日本になんて帰るもの
じゃない。 東京はきれいで、食事がおいしくて、きらびやかだった。

たった半年で、こんなにもケニアの感覚に慣れてしまった自分が恐い。
1年半後、活動を終えて日本に帰る時にはどうっていることだろう・・